グランスルグの一閃で跳ね飛ばされたメレムの生首が飛行エイの背を転がる。

更にメレムの胴体を先刻の宣言通り八つ裂きにした後、頭部を踏み潰す。

全ての攻撃には治癒阻害の呪詛も込められ、ここまでやられてはさしものメレムも死亡は確定したかに見えた。

だが、グランスルグの勝利の確信は一秒ももちはしなかった。

首を飛ばされ、元の形状すらはっきりしない肉塊となった筈のメレムの姿が消え、そこにいたのは一匹のネズミだった。

三十八『死羽の天幕』

「これは・・・彼の左腕・・・」

表に出られぬメレムの為人の姿に化けて、メレムと埋葬機関の橋渡しを勤めてきたメレムの左腕の悪魔。

戦闘能力は皆無だが人に化けられる能力は随一、これに匹敵するとすれば英霊であるランスロットの宝具、『己が栄光の為で無く(フォー・サムワンズ・グロウリー)』だけであろう。

おそらく飛行エイの真下を飛行していた際に入れ替わったのだろう。

「くっ・・・ならば彼は何処に」

「ここだよ」

グランスルグの疑問に応じるように真上からメレムの声が聞こえ、同時にグランスルグを大きな手が薙ぎ払う。

そこにいたのは、今は亡きヴァン・フェムの魔城を彷彿とさせる十メートル前後の少女の形を取った人形だった。

その両の腕には銃口と両サイドに付けられた銃剣を装備し背中と両足からジェット噴射を行い、その力で空中に浮遊している。

メレムはと言えばその人形の肩に悠然とたたずんでいる。

「やっぱり君にはこれも出さないと駄目かぁ〜あまり出したく無いんだけどなぁ〜」

グランスルグにとってこれは初見であったが、大方の予測は付く。

メレムが常に出す右足、今空を飛んでいる左足、自分の眼をもごまかした左腕、そうなれば自分を叩き落としたのは・・・・

「くっ・・・右腕まで出して来たのか」

吹っ飛ばされながらも冷静に敵の戦力を分析しつつも、体勢を立て直し地面に叩きつけられるのを回避する。

そこに見覚えのある巨大な足がグランスルグを踏み潰さんと迫り来る。

「!!」

咄嗟に低空飛行に移行し間一髪で踏み潰されるのを回避する。

見れば地上で咆哮を上げて上空のグランスルグを睨みつけるのはメレムの主力たる右足の悪魔。

そして、上空のグランスルグを挟み撃つのは飛行エイである左足の悪魔と少女像の姿を模した右腕の悪魔。

そして双方の悪魔には二人のメレムが寸分違わぬ姿で悠然と佇む。

どちらかが本体でどちらかが左腕の悪魔がメレムに化けたのであろう。

「ふむ・・・四大の悪魔全てをぶつけるか」

「当然じゃない。君相手に手を抜くなんて出来る筈無いでしょ」

軽口を言い合いながら互いに隙を見出そうとする。

やがて、隙を見つけるのは不可能と判断したのかメレムが動く。

左脚と右腕を同時に動かし攻撃を開始。

グランスルグも左足に乗るメレムを標的に定めて、突撃を敢行する。

メレムとグランスルグの戦いはまだ始まったばかりだった。









一方・・・ロンドン、『時計塔』では苦渋の選択を迫られていた。

未だダートフォードに陣取る『六王権』軍を突撃して撃破するか、南部でここぞとばかりに暴れまくる別働隊を討つか堂々巡りの議論が続いているが未だ結論は出る事無く議論は堂々巡りの様相を呈してきた。

しかし、これを優柔不断と断ずるのはあまりにも酷だった。

何しろどちらを選んでもロンドンは未だかつて無い危機に見舞われている事に変わりは無い。

ダートフォードの『六王権』軍は数こそ六万そこそこだが、死徒が戦力の主力であるだけならばまだしも十七位オーテンロッゼまでいる。

うかつに攻めれば返り討ちにあいかねない。

かといって南部の別働隊を討とうにも二十キロそこそこの至近距離に陣取られている以上戦力をうかつに動かせない。

そんな事をすれば三十分以内に『六王権』軍が打って出てくる事は火を見るよりも明らかな事。

かろうじて動かしたこちら側の部隊で進行速度を押さえ込んでいるが何処まで持ち堪えるか不透明な情勢。

その為動かず・・・いや動けずダートフォードの『六王権』軍と睨み合いを続けるしかないのだが・・・それすら万全の解決策には程遠い。

手をこまねけば南部一帯は『六王権』軍の手中に落ちる。

現に制圧された南部の都市からは続々と新たな死者がダートフォードへもしくは『マモン』に乗り込み欧州本土に向うのが確認されている。

つまり時間をかければかけるほど利となるのは『六王権』軍。

協会側は不利になっていくばかりだ。

しかも、逃げ場を求める難民は次々と現状最も安全であろうロンドンに次々と殺到、場所によっては入れろ入れないで一悶着起こり、小規模だが暴動まで起こりかけている。

この膠着状態は鉄壁と謳われるロンドン魔道要塞に少しずつ歪みを生み出そうとしていた。

そしてこの歪みこそオーテンロッゼの狙いだった。

『六王権』より最終勅命を受けた当初こそ狼狽し、茫然自失だったが、アフリカからドーヴァーまでの移動及び、部隊再編の時間が彼に本来の冷静さを取り戻させた。

最終勅命には攻撃開始の日にちは書かれていたが、目標達成期日は書かれていなかった。

これは書かなかったのか、書けなかったのか不明だが、そこにオーテンロッゼは僅かな光明を見出した。

元々戦力差は圧倒的、バルトメロイや英霊、ふざけた格好の魔術師(魔法少女とは口が裂けても言いたくない)がいる上にいざとなれば鉄壁の防衛力を誇るロンドン魔道要塞が控えている。

ならば何処かを切り崩さなければならない。

そこでオーテンロッゼは万難を排してでもロンドン郊外への突入、次善としてはロンドンから近距離の都市制圧を命じた。

そこに部隊を駐留させる事で己の身を囮にし、ロンドンの戦力を釘付けにした上で、別働隊をもって周辺都市の制圧と死者補充、そしてロンドンへの圧力を実施しようとしていた。

そのオーテンロッゼにしてもロンドン郊外突入は不可能、当初はシアネス、もしくはシアネスから更に十キロほどロンドンに近い都市ジリンガムが制圧できれば上々だと踏んでいたが、予測をいい意味で裏切り、ロンドンとは眼と鼻の先のダートフォードを占領出来たのは僥倖だった。

そして南部の都市は時間を追うごとに制圧され、次々と死者を量産し、半分は自軍に編入して残り半分は『マモン』に乗せ欧州本土に送り込んでいる。

勿論自分から進んで死者になりたがる者など、自殺志願者等、ごく少数の例外を除いてほとんどおらず、皆我先に脱出、最も近くに軍が駐留しているロンドンに向う。

そしてオーテンロッゼはそれをあえて見過ごしていた。

何故か当然の話だが、物理的に南部の人口全てをロンドンが受け入れる事等不可能である。

そうなればロンドンより北でロンドン陥落という最悪の事態に備え第二次防衛線を緊急で構築されているバーミンガムか、北方スコットランドの最後の防衛ラインを形成するリヴァプール、マンチェスター、リーズ、キングストンアポンハルの四都市への避難を要請しているが当然納得できる筈もなく、押し問答を続けている。

いや、避難民の中にはロンドンに入れるまで動かないとばかりに現地で野宿を開始する者も現れた。

それがロンドン魔道要塞に歪みを生み出した原因だった。

そして『時計塔』側はと言えば、追い詰められつつあった。

それも敵ではなく本来守るべき市民の手によって。

野宿を始めた避難民の手で結界の基点が知らず知らずの内に破壊されていく為に、要塞全域に綻びが生まれているが、事情を話しても納得はおろか理解するとは思えないし、まさか消す訳にもいかない。

人道的以前の問題として数があまりにも多過ぎる。

百人単位ではなく千人単位、いや日によっては万人単位でロンドンに押し寄せてくるのだ。

いちいち消していればきりが無いし、防衛も疎かになってしまう。

やむなく催眠等でバーミンガムに移動する事を承諾させる事で次々と住民には移動して貰っているが、それすらも焼け石に水の状態。

次から次へと同じ数の避難民が押し寄せてくる。

そしてその避難民が空いた所で野宿をはじめ、更に結界の基点を壊していく・・・まさしく悪循環だった。

しかも、『六王権』軍が占領したシアネスから『マモン』を使用してのテムズ川を横断、サウスエンドオンシーへの侵攻を見せる構えを見せている事も判明する。

この攻撃についてはいち早く察知した現地駐留のイギリス軍がいち早く『マモン』の上陸前に撃退したが、もはやダートフォード総攻撃か南部への大規模部隊派遣の二者選択を迫られ、更に万が一にも、このまま動かないのであればロンドンより撤退して第二防衛線であるバーミンガムへの撤退すら視野に入れ始める。

もしもであるが、このまま真綿で首を絞める様な戦略をオーテンロッゼがとり続ければ程なくロンドンは陥落するかとも思われた・・・









三度舞台をシリウリに移す。

高速で接近したグランスルグはすぐさま接近して左足に乗るメレムをその爪の餌食にしようとしたが、それを無数の獣が壁となって妨げる。

それを壁とも思わず全て薙ぎ払うがそれでも距離を取るには十分な時間稼ぎ、メレムは既に左足の丁度中央に陣取っている。

だが、グランスルグにとってそれは取るに足らない距離、直ぐに距離を詰めようとするが、そのメレムの足を突然湧き上がった虎が噛み付き動きを封じ込める。

それをすぐさま振りほどき虎を切り刻むが、その時メレムの姿は消え失せ左足の何処にもいない。

グランスルグはメレムとの戦いに若干気を取られ気付かなかったが、いつの間にか左足はその身体を地面につく、ぎりぎりまで高度を下げている。

メレムを探す為一瞬だけ周囲を索敵していたグランスルグに右足がその前足で蹴りつける。

通常ならばかわせる攻撃だったが、メレムを探索する為に回避が遅れた事によりしたたかに受けてしまった。

直撃こそかわしたがそれでも手痛いダメージである事に変わりは無い。

そこに落ちた犬は叩けとばかりに右腕が両腕に装着された銃剣を突きつけ猛然とグランスルグに迫り来る。

ダメージを負ったと言っても、この程度の攻撃を受けるほどグランスルグも甘くなく、上空に飛翔して軽くかわす。

しかし、メレムはそれを完全に読んでいたのか、グランスルグが飛翔してきた地点に左足が待機しており、その尾でグランスルグを叩き落す。

「がはっ!」

直撃を受けて苦悶するグランスルグを右足が踏み潰そうと足を踏み出そうとする。

察知したグランスルグが低空での逃避を開始するが、今度は右腕が両腕の銃口をグランスルグに向け砲撃を始める。

砲撃による土煙がたちこめる中、それでも一先ず距離を取り、再び対峙するメレムとグランスルグ。

だが、グランスルグも無傷とは言い難く、所々血を流し、片腕は歪に折れ曲がっている。

「くっ・・・さすがに四肢の名を冠した悪魔と貴君の連携は完璧か」

「そりゃね。何しろ僕の一部だもの」

そう言い合っている間にもグランスルグの傷は癒え、片腕も元通りに治癒される。

メレムはそれをただ傍観していた。

ダメージを負っていたとしても流石にグランスルグが正面からの攻撃を許すとは思えなかった。

「悪いけどさ、そろそろ決めさせてもらうよ。いくら君でも僕の四肢の攻撃何時までも避けられるとは思えないし」

「確かに。貴君の攻撃受け続ければ私の身がもたぬ。貴君をいち早く殺せば済むと思ったが甘かったか。やはり貴君を手に掛ける為にはその守護者を残らず潰すしかないな」

そう言うや、メレムとの距離を更に広げるべく後退を始める。

それが何を意味するのか察知したメレムはすぐさま距離を詰めようとグランスルグに迫ろうとするが、それを空軍死者がまさしく壁となって立ち塞がった。

「くっ、右腕、左足、速く壁を壊して!!彼にあれを使わせたらいけない!!」

メレムの声に焦りが浮かびだす。

彼にはわかっている。グランスルグが何をしようとしているのか。

彼が『死徒殺し』の異名で呼ばれる最大の所以を。

現に壁の向こう側から彼の耳でも聞いた事の無い獣の唸り声じみたグランスルグの声が聞こえる。

左足も右腕も迂回したり時には正面から突破しようとするが、その度に空軍死者が鉄壁の守りで行く手を遮る。

しばしそんな押し問答がしばらく続いたが、突然空軍死者が我先に四散する。

その意味を察したメレムも後退を命じようとするが、既に最後の一文は朗々と告げられていた。

「良く守った・・・」

ー気を付けたまえ。我が夜に舞う鳥達は死者にのみ厳しいぞー

最後の詠唱が告げられた瞬間、上空から鳥達の鳴き声が響く。

雀のような小柄な鳥もいれば鷹や鷲といった大きな猛禽類もいる。

ありとあらゆる鳥が集いメレムとグランスルグの頭上で競い合うように鳴き声を響かせ空を舞う。

「これが・・・君の固有結界、『死羽の天幕』、別名『ネバーモア』」

「そうだ。そう言えば貴君をここに招待するのは初めてだったか」

「ああ、そうだよ、こんな所死徒だったら誰も入りたくないし」

そう毒づくメレムの周囲に鳥の羽が雪のように舞い落ち始める。

その羽はゆっくりと舞い落ちてやがて、右足の身体に触れる。

同時に右足が苦悶の咆哮を上げ始める。

羽の触れた箇所から腐乱し、朽ち果て始めようとしている。

「うそっ!これって死者や死徒限定じゃあ・・・」

「無論、死徒や死者が最もこの空間で高い効果を受ける、だが、それが他は効果を受けぬ事とは同一ではないだろう無機物には効果は皆無だがな」

「くっ!」

そうこうしている内に右足の両前足が完全に崩壊し、身動きが取れなくなってしまった。

降り積もる羽をただ受けながら苦悶の咆哮をあげる事しか出来ない。

だが、メレムとしては右足にばかり気を取られる訳にも行かなかった。

この羽が降り注ぐのは右足だけではない。

メレム達にもその羽は平等に降り積もる。

触れた箇所から肉は溶け、血は腐り、骨までも朽ち果てる。

もはや右足は原型すら留める事無くその残骸が僅かに残るだけだったが、それもまた消滅してしまった。

それに連動するように、メレムの右足もぼろぼろに朽ち果てる。

更に左足も全身を溶かされ、地面へと墜落していく。

大地に触れれば消える左足だったが、触れる前に次々と降り注ぐ羽に包まれ跡形もなく消え去る。

同時にメレムの左足も崩壊した。

右腕はと言えば、メレムによって創造されたとはいえ、その身体が無機物の為に『死羽の天幕』の被害は皆無と言って良く、主であるメレムを自身の体内の聖堂に避難させた上でグランスルグに攻撃を仕掛ける。

しかし、単体での攻撃等恐れるに足りぬとばかりに、グランスルグは積極的に攻撃を仕掛ける。

銃剣と爪が交錯し、砲弾と羽はその動きを狂わせる。

そんな激しい死闘もそれほど時間は掛からなかった。

グランスルグの一撃は右腕の銃口を破壊し、返す刀で左腕の銃口も崩壊させる。

攻撃手段を失った右腕の頭部を胸部諸共完全に壊し、脚の箇所も切断し、右腕は屋根の無い聖堂と変わり地面に墜落していった。









無残な残骸と化した右腕、その内部の聖堂に足を踏み入れたグランスルグは直ぐに目当ての者を見つけた。

「まだ生きていたか。存外にしぶといな貴君も」

「君ほどじゃあないけどね・・・」

そこには両腕、両足が完全に崩壊し身動き一つ取れなくなったメレムの姿があった。

見ればメレムの腹部に一匹のネズミが倒れピクリとも動かない。

「貴君の左腕も貴君に殉じたか」

「まあね・・・」

遮るものは無く、身動きもとれず、メレムに降り注ぐ筈であった羽は人の姿に化けた左腕が軒並み身代わりに受け止めていた。

いや左腕だけではない。聖堂にいたネズミ達が全員、メレムの盾となったお陰だった。

「さてここで終わらせるとしよう。貴君の力は侮れぬ。こちらは三人の祖を失っているからな、戦力の低下著しい」

「よく言うよ。こっちだって相当の戦力失っているんだけど」

もはや殺される寸前だと言うのにメレムの口調に重いものは感じられない。

グランスルグの口調も高揚は無く何時も通りの淡々としたもの。

お互い、いずれは戦い合う事をどこかで判っていたし、どちらかが死ぬかに至っては当の昔に判りきっていた事。

そこに感慨等無いのだ。

「ここではない地でこの星が浄化され主に献上されるのを見届けよ」

グランスルグの爪が振り上げられ、それに続けとばかりに死の羽が舞い降りようとしている。

「いつかはそうなるかも知れないけど・・・それは今じゃないね」

その瞬間、

ー煉獄斬ー

炎の斬撃が『死羽の天幕』を真っ二つに両断して固有結界を破壊する。

「!!」

思わぬ攻撃に一瞬グランスルグの動きが止まる。

その僅かな隙を突いてアルトルージュがメレムが回収する。

それと入れ替わりにグランスルグに対して

「砲撃!!」

「いっくわよースフィア!ブレイク!スライダー!!」

『幽霊船団』旗艦の一斉砲撃と魔力砲三連射が叩き込まれる。

だが、これでやられるほどグランスルグも柔ではない。

したたかに受けはしたがどうにか離脱する。

しかし、それを見逃すほどこちらも甘くは無い。

「いっけー!!」

狙い済ましたような衝撃波の追撃がグランスルグを直撃したかに思えたが、それを空軍死者が主に変わりに受け止め八つ裂きにされた。

「ぐううう・・・どうやら時間を掛け過ぎたか・・・」

その口調に忌々しさを込めてグランスルグは既にかなりの距離を離していた。

流石に彼と言えどメレムとの戦いで少なからず消耗した身で今の敵戦力・・・志貴、アルクェイド、アルトルージュ、フィナ、青子を相手とするのは分が悪すぎる。

メレムを仕留め損ねたのは痛手だが、メレムをしばし戦闘不能にしたのは数少ない戦果と言える。

いくらメレムの四肢が彼の創造で創り出されるとしても、全てを完全に破壊された以上完全復活にはしばしの時間が必要とされる筈。

どちらにしても今回は本格的な攻勢の時ではない。

未だ下拵えの段階、目的も果たしつつある今、長居は無用。

そろそろ撤退すべきだろう。

そう考え自分を強引に納得させると、配下を従え、撤退を始める。

「志貴追う?」

「止めておきましょう。こっちも攻勢の準備は整っていませんし、下手に深追いして不意打ちを受けたりしたら眼も当てられませんよ先生」

青子の質問に(無論本人も本気ではない)志貴は溜息混じりに応じる。

『黒翼公』を倒せなかったのは無念だが、危うくメレムを失う所をぎりぎり間に合ったのだ。

今回はこれで良しとすべきだ。

「それにメレムの容態も確認しないと」

その当のメレムはと言えば、自分を抱き上げているのがアルトルージュと知るや顔を引きつらせてアルクェイドに助けを求めようとしているが喜色満面のアルトルージュに抱きすくめられてまさしく手も足も出ない(それ以前に手も足も無いが)。

そして助けを求められているアルクェイドは完全に無視している。

「・・・とにかくイスタンブールに戻りましょう。メレムの傷の手当てもしないといけませんし」

志貴の意見はごく全うに受け入れられた。









イスタンブールに戻った志貴達はすぐさまメレムをしかるべき場所に移送しメレムの治療が開始される。

そして数日後、ようやくロンドン方面の情報が手元に入ってきた志貴達はようやくロンドンのかつて無い苦境を聞く事になる。

「なんてこった・・・懐所か咽喉元まで手が掛かっている状況かよ・・・」

「うん、ロンドンから『六王権』軍の陣があるダートフォードまで推定二十キロ前後、もう下手には動けないよ。あの輸送兵器だったら三十分前後でロンドンに突入されちゃう・・・」

「かと言ってロンドンだけ守ろうとすれば、イギリス南部を制圧されてしまいます。現にコーンワル半島はほとんど制圧されたと未確認情報が届いています」

琥珀とシオンが整理した情報を一通り確認して志貴達は天を仰ぐ。

「こっちが異常無しであれば、ロンドンの援軍に向うけど・・・」

「無茶言わないの志貴、こっちだって『黒翼公』が睨みを利かせているのよ。下手に動いたら今度はイスタンブールが危なくなるわ」

「シオン、『時計塔』は最悪どうすると?」

「はい、最初のロンドン攻防戦後構築を初めたバーミンガムへの撤退も視野に入れていると、ただ、防備の構えとしてはまだまだこれからと言わざる終えません・・・」

「ロンドン放棄は最後の最後、最終手段だな」

「うん、『時計塔』もロンドン放棄はもう、手の打ち様の無い最悪の事態まで選択しないと思う・・・」

「しかし、『黒翼公』は全く動かないな」

「そうね、現状チョルルに撤退後は篭りっきり、偵察機で調べようにも片っ端から落とされている」

「フィナも出向いたけど、空軍死者の大半の戦力がチョルルに集結しているみたい。倒せない事はないけどそこを『黒翼公』に襲われたらひとたまりも無いから侵入は控えさせているわ」

「正しい選択ね。メレムですら『黒翼公』に完璧に潰されたんだし、下手に手を出さない方がいいわね。でも何で動かないのかしら?」

「ダートフォードの『六王権』軍もほとんど動きが無いみたい。ロンドンと睨み合いを続けているって」

「兄さん、今、アフリカ方面からも連絡があって、そっちの『六王権』軍も動きを止めたと」

「三地区全ての『六王権』軍が動きを??どう言う事だ・・・」

秋葉の報告を聞きいよいよ頭を抱える志貴。

智の要であるシオンがそこで様々な可能性を述べる。

こちらの攻勢をあえて誘っている、大規模な別働隊の存在を隠す為、戦力の再編等上げればきりが無い・・・

どれもありえるが、これが決定的なものとは誰にも判らず、また発言したシオン本人すらも断言できかねるものだった。

結局、イスタンブール、ロンドン双方共、不気味な沈黙を続ける『六王権』軍に迂闊に手を出す事を躊躇われ戦線は膠着状態となる。

しかし、実は『六王権』軍側は現状内部・・・それも居城『闇千年城』で起こった非常事態の対応に必死で他の事に手が回らなかった。

『抑止の守護者が『六王権』を討つべく『闇千年城』に襲撃をかけた』と言う異常事態に・・・

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